子供の頃からあんまり友達がいなかった。一人で野良猫を追いかける遊びをよくしていた。猫が好きだった。犬は寄ってくるから怖くて苦手だった。決して向こうから寄ってはこない猫を追いかけ、少しでも距離を縮めるのが楽しかった。
それが高じて、獣医になりたいと思うようになった。野良猫の中には明らかに病気のものもいた。彼らを救いたいと思った。ちなみに名作『動物のお医者さん』は読んだことがない。動物に関して漫画で影響を受けたのは『みどりのマキバオー』だと思う。北海道で、動物について学ぶことができたらいいなあ。漠然と思っていた。
しかし、動物アレルギーを発症した。獣医になったらたぶん、呼吸困難で死ぬ。実際に、職場体験というイベントで獣医のところで1日過ごしたところ、帰宅後に蕁麻疹がでた。それは喉の中にも出来て、痒くて苦しかった。
受診もせず、ひとしきり苦しんで治るのを待った。薬もなかった。今思うとずさんな感じがする。
親との関係に悩んでいた。それがきっかけで心理学に興味を持った。カウンセラーになりたいと思ったが、そのような学部へはいかせないと言われた。曰く、潰しのきく法学部にしなさい、とのこと。
英語が苦手だった。悲惨な点数を取り、あわてていとこが使わなくなった英語教材を譲り受けた。今もあるのかな、NHKの英語講座。当時はカセットテープだった。それをひたすら聞きテキストを読んだ。そのうち、英語は面白くなり、アメリカやカナダの生活に憧れた。英文学科に進みたいと思った。が、英語だけできてもだめだ、そんな進路は以下同文。
進路は結局、母の言うなりにした。とにかく学費の安いところで、法学部のあるところ。そんな雑な決め方だった。どうでもよかった。母の洗脳に負け、「法学部にいってそれなりのところへ就職しなきゃだめだ。やりたいことなんて追いかけてフワフワしてるやつはバカだ。」と自分で自分を洗脳し始めた。実際は希望の学部へ進み、東京の私立大学へいく友達が羨ましくて仕方なかった。努力ではなく家柄で進路や幸せは決まるんだとこの時漠然と思った。だからこそ就職などでいずれ見返したかった。今思うとくだらなすぎる。人と比べてばかりで全然、自分の人生を生きていない。何がしたいのかを見失い、母から言われた進路をいつのまにか自分の希望進路だと思い込む。思い込んだのは適応し、生きていくためだったと思う。一方で、あまりにも投げやりに生きすぎだとも思う。諦めが早すぎる。
振り返ったらわたしは人生の早い段階で、したいことをどうせ叶わないと諦める癖がついていたようだ。でも、だって、どうせ、というNGワードを毎日毎日使っていたと思う。
なぜわたしの人生がうまくいかないのか、少しわかった気がする。